マニュアル操作の煩わしさは、試行錯誤の喜びに変換しよう。
今年のクリスマスイブは若干シリアスな過ごし方でした。
レコーディング、家族会議。その他もろもろ。
歴史の大きな流れから見ればちっぽけな、24時間という流れ。
その小さなサイクルで、われわれ人間は一喜一憂して、
時計の針を進めているようです。
有為な一日。無為な一日。
価値を求めるのは個人でしかありません。
自分の手のひらを見つめる。
今日は殊更に小さく感じました。
自分に出来ること、出来ないこと。
誰かのために出来ること、出来ないこと。
歯がゆいほどに、自分の力って大きくないんですね。
ただ、そこで無力さに嘆いてる暇は欲しくない。
小さくても血の通う手のひら。
握力は50キロほど。
強いか弱いか、知らんけど。
掴めるものは、掴みたいものはきちんとあって。
自分の持つ力、持ってない力。
欲しかったもの、手に入れたもの。
おぼろげながらに感じるものです。
誰かに背負ってもらうなら、少しは楽かもしれません。
別にそれは迷惑ばかりでもありません。
ただね、背負われて歩いた道には、自分の足跡は残らない。
靴の踵が減っても、脚が痛くて涙を流しても、
歩いた道には足跡が残ってほしい。
そして、自分の足跡のそばには何かの跡も残っていてほしい。
ままならない日常も、産みの苦しみも、流した涙も、
ひっくるめて地球は自分が回しているようです。
自分の地球は自分の知っている人を乗せて回っています。
誰かの地球にも自分が乗せてもらってると思います。
そこにいる自分が、どうか熱を持ったモノでありますように。
背負うもの、背負われるもの。
抱えるもの、抱えられるもの。
愛するもの、愛されるもの。
悲しむもの、悲しまれるもの。
出来得る限り、そこに自分の意思が、体温が存在していたい。
傲慢でも勘違いでもいいじゃない。
オートマティックな世界に自分はいないのだから。
明日も僕が笑えるように。
明日も君が笑えるように。
明日もみんな笑えるように。
昨日の涙、無駄にしないように。
動かせるのも動かせないのも、俺次第。あなた次第。