明日はどっちだ。
自らのベクトルをどこに定めるか。
外部を一切受け付けない強固なベクトルではなくてもいいと思うけど、
「自分はこうなんだ!」という結論を出さなくてもいいと思うけど、
そこを意識するのはとてつもなく重要な気がしています。
ミュージシャンとしての自分と、一人格としての自分。
個性の所在よりも、願いの所在。
理想の自分自身は描けども、どんな表情をしているかまでは見えず。
その姿を夢想することで、次のステップに進めるような。
100%の理想は、次の瞬間には既に100%ではなくなってる。
追いかけっこなんだな。
どれだけ変人だと言われようが、頑固者だといわれようが、
そこだけはストイックに見ていたい。
毎日大量に現れる選択肢を、理想の自分にトレース出来るよう試みる。
そう思うのが第一歩。
具体的にプランを立てるのが二歩目。
アクションを起こすのが三歩目。
うまくトレース出来れば四歩目。ゴールじゃないのがミソ。
意外と、回り道や寄り道なんかが正規のルートだったりするもんです。
選ぶ未来は、選んだ瞬間に一本の道に収束するので、
最終的には人生は一本道。
錯覚で生きてんだろう。
パラレルな自分は、頭の中で十分なんだろう。
連綿と続く「現在」と、一つしか選べない「未来」。
もはや動かすことの出来ない「過去」。
妄想と現実は、どうやら同じところにあるようで。
さて、明日の自分は今考える「明日の自分」をトレースできるでしょうか。
答えなんて決まってるのに、いつもそれを抱く。
人間って、凄いね。