ものを書くのは好きです。

が、しばしばくどい表現をしがちなんで、注意が必要だったり。



作詞も最近は好きになってます。

昔からいやいや書いてるってことではないんですけどね、

昔と比べてもストーリー展開が工夫できるようになりました。

日々、自分の周りで色んなことが起こってるので、

書くネタが尽きるということはないように感じます。



が、作詞は日記を書くのとは違います。

ただ事実を連ねるのではなくて、ひたすら自分の内部に閉じこもるでもなくて、

その光景や感情を言葉で切り取ることだと思うのです。

時には端的に、時にはオブラートに包んで。

言い切りの言葉は、想像が翼を広げる余地を持ちません。

あえて情報不足の言葉にすることで、聞き手の想像を膨らませる。

無責任というなかれ。

自分が見ている「小田貴音」と、他の人が見ている「小田貴音」は別なんです。

完全に一致する瞬間は死んでもないんじゃないかな。



自分の全てをぶつけても、伝わるのはきっと、ほんのわずかで。

それが相手にとっての1%か、120%かはこちらも予測できないわけで。

こっちの手のひらで転がせるのか、それとも右腕全てを持っていかれるか。

それが分からないからこそ、同じ「人間」って種族がこれだけ個性的になってるし、

1300グラム程度の脳味噌が作る世界も、それほど窮屈ではないということ。



同じ風景でも、カラーで撮った写真とモノクロで撮った写真が全く違って見えるように。

自分が吐き出した言葉を色んな角度から読んでもらいたい。

斜め読みする人、一言一言を深読みする人。大歓迎。

爽快な気分になる人、不快感が拭えない人、どっちもいてほしい。

おこがましくも、本心です。