原点回帰と、内なる目。

独り言に近いので、一応断っておきます。



気付けば、音楽をやるということが「手段」になりすぎてたような気がした。

「目的」を見据えて、それから音楽が出てくるような。

間違いじゃない。間違いじゃないけど。



なんのために。なんのために?

だれのために。だれのために?

両肩にへばりついた疑問符、大義名分。

ともすると、「義務感」「あてつけ」「言い訳」に変化する可能性を孕む。



角度を変える欲求。反射する感情。

音の世界は己の二次産業、三次産業だったか。



ほら、頑張っただろう。

ほら、キレイだろう。

キミのために作った。

アナタのために生まれた。

口下手なボクが伝えるためには。

普段ならこんなこと言えやしないから。



それも間違いじゃない。

間違いじゃないけど。



初期衝動は原色。白でなし、黒でなし。

「目的」や「手段」はあくまでエレメントとしてそこに在る。

新感覚結果主義。突き詰めればゼロを求める。

自らを音の産道とせよ。

誕生は、原石の感情の産物。

赤ん坊が何を感じて生まれるのかは、究極のなぞなぞ。



小田貴音の原点回帰。

ただ湧き出る音を掬い取る。

湧き出す音は混沌。純粋な混沌。

歪んだ純粋。音は一つではなく。

秩序ある混沌。矛盾を掬い取る。



感情はその後にある。目的・手段はその後にある。

創造の原始はそこにある。

得体の知れない不安の中で、頭痛と共に、

小田貴音の中のオダタカネは、きっとそう言った。



うれしい。かなしい。たのしい。こわい。

じぶんのために。あいつのために。だれかのために。

それは、きっと二番目に考えること。

無が有に変わる瞬間。無が生に変わる瞬間。

わたしは、それをする。

それから、望んだり笑ったり泣いたりしよう。