切なさにこらえきれず、声が漏れる。

うちの犬ですけどね。ブログでは、セクシー☆なネタは書きません、悪しからず。

うちには愛犬がいるんですけども、こいつ、ものすごい水に濡れるのを嫌うんです。

狂犬病じゃないですよ、念のため(狂犬病の犬は水を恐れるらしい)。

散歩中でも水たまりは全力で避けてます。

そんな我が家のアイドルなんですけども。

今日、父上の魔の手が。

昼飯から帰ってくると、














洗濯シャンプーされてました。





逃げ惑う愛犬、それを鷲掴み、シャワーを浴びせる父上。

父上には絶対服従の犬なので、反発なんて出来やしないんですけども、

か細い声で、帰宅したばかりの俺に助けを求めてました。。




「シャンプーなんてフツーじゃん、当たり前じゃん」っていう人。気持ちは分かる。

すいません、うちの子、肌が弱いんです。

従いまして、シャンプーは年に2度あればいいほうです。

実際、結構しますよ。犬臭。

でも、なんつーか、その犬の匂いって、俺は何だか安心するんですね。



世間の綺麗好きブームは、もはや過剰とも言えるぐらいになったと思ってます。

汚れや匂いを気にする、徹底的に排除する。

何だかなあ、って思います。

そりゃ、俺も結構気にします。口臭やら体臭やら、ね。

人に不快感を与えてはいかんなあ、と思うしね。

でもね、無味無臭の人間って、なんか違うような気がするんですね。


念のために言っておきますが、俺はスメルマニアではありません。


それぞれの人に、それぞれの「匂い」や「手触り」や、「色」があるんだと思います。

それを、五感と、それ以外の感覚で、感じたい。

それなのに、大部分と同じ「無味無臭」を心がけるというか。

そんなに気になりますか?ってぐらい疑問に思うことがある。

周りから外れないように、周りと違わないように。

俺の中にもあります。


でも俺は、「味」の、「匂い」の、「色」のある人間になりたい。

なにか特別なことをすればいいってことじゃなくて、ね。

知らない間に、それは出てくるんじゃないかな、と思うんです。

特別じゃない、だけど独自のものってのがあるように思います。

それが、自分でも知らないうちに出てくれば、いいね。


そんでもって、俺の周りの大切な人たちが、

そんな「味」や「匂い」や、「色」のある人間になって欲しいし、

あり続けて欲しい、と思います。

俺が好きな人間ってのは、そんなあれこれを感じる人たちです。



思い込みや、自己満足や。

逆に、不安や、物足りなさや、飢えや。

そんなものがそれぞれの配合で混ざり合って、出てきてるんじゃないかな。



今日の愛犬とのやり取りや、今日歌った歌たち。

それらから、こんな文を書きました。